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関東大水害(明治43年)



関東地方では戦前、高潮による大きな水害被害がありました。現代のように発達していない防災体制であったのは当然ですが、過去にどのような状況で災害が発生し、どの程度の被害を生んだのか。過去の例としてご紹介します。

戦前の関東地方を襲った関東大水害

戦前の関東地方を襲った関東大水害

関東地方では1910年(明治43年)と1917年(大正6年)の2度大水害が発生しており、後世ではこれを合わせて「関東大水害」と呼んでいます。

1910年(明治43年)に発生した大水害では、関東地区の水害に対する脆弱さが表面化することになり、多くの人々を苦しめました。

災害の発端

災害の発端

8月の上旬から続いていた梅雨前線が関東地方に雨を降らしている最中、2つの台風が発生し日本に接近しました。ひとつは千葉県の房総半島をかすめて太平洋上へ抜け、もうひとつは静岡県の沼津付近に上陸。梅雨前線と2つの台風が重なったことが、悲劇のきっかけでした。

被害全体の規模

被害全体の規模

長く続いた雨と台風の影響により河川のほとんどは氾濫し堤防が決壊。関東地方全体では死者769人、行方不明者78人、そして家屋が全壊または流出した数は約5,000戸を数える大惨事となり、東京府(当時は都ではなく府)で被災した人数は合計約150万人に登ったと記録されています。

なお、特に被害が大きかったのは河川の氾濫が著しかった群馬県であるとされており、全体では東日本の1府15県で大規模な被害がありました。江戸川など一部の河川では治水(「棒だし」と呼ばれる当時の治水方法)に成功した例もありますが、江戸川の維持を優先したために行き場を失った水が利根川流域に流入するなどして、千葉県の銚子方面での水害が深刻化してしまうなどの被害を生んでいます。

被害が大きくなった原因

被害が大きくなった原因

もともと江戸時代に埋め立てられ平地を確保した関東地区は水害に弱い特徴がありました。江戸時代には最低限の治水を施し、必要に応じて非難するなどして対応していたようですが、明治時代に行なわれた急速な近代化により埋立地にも多くの建築物が建てられるようになり、脆弱な土地に負担をかけるような発展が行なわれていたことが、水害の被害を大きくしてしまった原因のひとつだったとされています。

総括とその後の対策

総括とその後の対策

富国強兵を目指していた当時の日本においては工業化を再優先にし、人々の生活を守る防災にまで力が及んでいなかったことが不幸の始まりだったと言わざるを得ません。

この1910年(明治43年)に発生した大水害の主な原因は河川の氾濫ですが、海抜の低い埋立地が多くありながらも適切な対策を施していなかった点が重なり、高潮の被害と合わさって大きな惨事になってしまったと推測されます。

災害後、周辺の都市では治水工事を進め、長大な放水路の建設などが進められましたが、その工期中に第一次世界大戦や関東大震災が発生したことなどもあって、最終的な完成は1930年(昭和5年)まで待つことになります。なお、その工事の最中である1917年(大正6年)には、再び関東地方を大規模な水害が襲うことになります。