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室戸台風(昭和9年)



日本の観測史上には「昭和の三大台風」と呼ばれる大規模な3つの台風被害があります。ここでは、1934年(昭和9年)に発生した三大台風のひとつ「室戸台風」についてご紹介します。

記録的な規模で襲来した台風

記録的な規模で襲来した台風

1934年(昭和9年)9月21日に高知県室戸岬西方に上陸した台風は、上陸時の気圧が911.6ヘクトパスカル、風速が60m/sを記録しています。当時の日本の観測史上では史上最強とも言える強い規模で襲ったこの台風は、四国地方から近畿地方を通過し若狭湾に出て、通過地域に大規模な被害を及ぼしました。一部の地域では「関西風水害」と呼ばれています。

災害の発端

災害の発端

9月15日にフィリピンの東方で発生した台風が徐々に勢力を強めながら日本に接近し、9月21日に室戸岬に上陸します。上陸後も台風の勢いは収まらず、そのまま北北東に進み続け、23日に日本海側へ抜けるまで通過地域に強風と豪雨で被害を与え続けます。

特に大阪湾付近では、強風と大雨に加えて高潮の被害が重なり、著しく大きな被害を出してしまいました。

被害全体の規模

被害全体の規模

午前8時頃に大阪と神戸の間に上陸した台風は、最大瞬間風速60m/sという極めて強い風を伴っており、高潮の規模は4mを超えたと記録されています。また、大阪湾周辺には海水の流入も発生し、地盤沈下も生じた結果大阪城付近まで水が及んだとされています。大阪湾付近で溺死してしまったとされる死者数は1,900人以上だったと推定されています。

京都府や滋賀県なども含め日本全体の被害は死者数2,702人、行方不明者数334人、そして負傷者数は約15,000人でした。破壊された家屋数は92,000戸を超え、床上浸水は400,000戸を超えたとされています。

なお、1812年(文化9年)に建造された四天王寺の五重塔と仁王門は、この台風で全壊しています。

被害が大きくなった原因

被害が大きくなった原因

台風が大阪湾に上陸した折には、天文潮が満潮時とは少しずれていたものの、高めの水位だったことが不幸でした。また60m/sという極めて強い風が吹き寄せ効果を生み出し、4m以上もの高潮となって人々を襲いました。

当時の観測史上で最大規模となった台風は、人々の予想を超えた脅威となって襲いかかったことになります。

また、現代と比較すれば防災体制の不足も大きな要因になっています。大阪湾を襲った高潮に対する警報は2度しか発令されておらず、たった2度の警告では情報が行き届かず多くの被害を及ぼす原因にもなったと指摘されています。

総括とその後の対策

総括とその後の対策

台風そのものが極めて強いものだったことが被害の主な原因ですが、現代と比較すれば防災体制の脆弱さも考えられます。当時の防災警報は、真に危険な際にしか発令されないものであり、人々にとっては「警報がどの程度危険な状態であるのか」が正しく理解されていなかった可能性が高いとされています。つまり、残念ながら室戸台風の折には、たいして警戒もせずいつも通りの台風と楽観して被害にあってしまったことになります。また、室戸台風の折には2度しか警報が発令されなかったと伝えられています。警報の発令回数が少なければ、警報そのものの発令を知らなかった被害者も多かったと推測されます。

この室戸台風を経て中央気象台では以後、警報の前段階として、現代で言う注意報に相当する「気象特報」を発表するようになりました。