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シーボルト台風(文政11年)



近代的な観測記録では、伊勢湾台風をはじめとした「昭和の三大台風」が多くの高潮被害を発生させた原因として知られていますが、日本には古来多くの台風が接近し、数々の高潮被害を発生させてきました。ここでは、その一例として1828年(文政11年)に発生したシーボルト台風についてご紹介します。

国際問題の発覚に繋がった大型台風

国際問題の発覚に繋がった大型台風

もともとは元号から「文政の大風(ぶんせいのおおかぜ)」、または干支の子年に発生した台風であるため「子年の大風(ねのとしのおおかぜ)」と呼ばれた台風でしたが、この台風がシーボルト事件(持ち出しが禁止されていた日本地図をドイツ人学者が持ちだそうとしていた事件)の発覚に繋がった説により、1961年(昭和36年)からは「シーボルト台風」と呼ばれるようになっています。

災害の発端

災害の発端

近代的な観測がなされる以前の情報ですが、当時の各藩による報告からの推測では、1828年(文政11年)9月18日(当時の旧暦では8月10日)未明に、長崎県の西彼杵半島に台風が上陸し北東に進行、関門海峡付近の山口市あたりを経て中国地方を縦断したと考えられています。なお現代では、気象学者により最低気圧は900ヘクトパスカル程、最大風速は50m/s程であったと推測されています。

被害の規模

被害の規模

正確な記録は残されていませんが、死者数は全体でおよそ20,000人(行方不明者も含むと考えられます)、負傷者数も約20,000人だったとされています。

強い雨を伴ったと記録にありますが、特に甚大だったのは強風の影響だったとする説が根強く、強風による吹き寄せ効果で有明海、及び博多湾で高潮が発生したとされており、その波は最大で4m(有明海)にも及んだと推測されています。また、周防灘や博多湾でも3mを超える高潮が発生したとされています。

なお、シーボルト台風では伊万里焼の産地も被害を受けており、窯の損壊や焼失などが多く発生し、窯から漏れた火による焼死者が多かったと、当時の佐賀藩の記録には残されています。

被害が大きくなった原因

被害が大きくなった原因

日本の歴史では、江戸時代に分類される時代に発生した自然災害です。到底近代的とは言えない時代ですから、現代とは比較にならない稚拙な防災体制であったことが被害を大きくしてしまった最大の原因と言えます。

堤防などはなく自然のままの環境であり、また家屋は燃えやすい木材が中心であったこと、そして避難体制ができていなかったことは、当時としては仕方なかったのでしょう。

総括とその後の対策

総括とその後の対策

死者数の規模は約20,000人とされていますから、日本の歴史上で最大級の被害を受けた大惨事がシーボルト台風です。この台風では有明海、博多湾、周防灘を中心に港湾で3~4m級の高潮が発生したとされています。現代は伊勢湾台風(台風の規模としてはシーボルト台風よりも強力だったと推測される)を教訓とした防災体制が全国に整っていますが、この周辺はもともと強力な台風により高潮被害を受けやすい地形であり、江戸時代に大規模な悲劇があったという点は、後世まで語り継いでいきたい教訓です。